支援学級 育児の悩み──息子と過ごす日々と家族のかたち

支援学級に通う子どもと親の足元を写した写真。異なる靴と歩幅が、親子の成長と寄り添いを象徴している。 子育ての気づき
歩幅の違いに合わせて進む親子の歩み──支援学級での日々を表すイメージ。

はじめに

制度や話題を中心に情報を発信してきたこのブログですが、今回は少しだけ、家族のことを書かせてください。

支援学級に通っている小学1年生の長男のこと。
そして、そんな息子をめぐって、ママとパパ──僕たち夫婦が、どう考え、どうぶつかってきたのか。

これは、親としてもまだ模索中の僕たちが、ようやく言葉にできるようになった「現在地」です。
同じように悩んでいる方のヒントや、少しの安心につながればうれしいです。


支援学級という選択。これでよかったのか?

長男が支援学級に通うようになったのは、小学校入学と同時でした。

保育園時代から少しずつ感じていた違和感──集団の中での立ち位置、言葉の発達、集中力の波。それらが「少し個性的」で済ませられなくなってきた頃、進学という大きな節目を迎えました。

入学にあたって、学校の先生や支援センターの方と話す中で、「支援学級」という選択肢が出てきたとき、正直なところ胸がざわつきました。「そこまでの判断が必要なのか」「本当にこの子のためになるのか」そんな思いがよぎったのを覚えています。

僕自身、支援学級という存在は知っていたけれど、それが“我が子の選択肢”になるとは、当初は想像すらしていませんでした。特別な場所、というイメージに戸惑いもあったのが正直なところです。

でも今、息子は支援学級で落ち着いて過ごしています。先生との距離も近く、息子のペースに合わせて声をかけてくれる環境が、何よりありがたく感じます。

帰宅後、「今日〇〇できたよ」と小さな達成感を報告してくれる顔を見ると、「この子にとって必要な場所だったんだ」と思える瞬間があります。

不安はまだあります。でもその中に、確かな“前進”が見えてきました。


入学式で感じた現実と偏見

入学式の日、息子と手をつないで校内を歩いていたとき、後ろから聞こえてきた保護者同士の会話が今も心に残っています。

「よしの目って、ちょっと発達に問題がある子たちのクラスでしょ?」

何気ない会話。それでも、胸に深く刺さりました。
ママは「そんなこと言う人もいるけど、今はそういう子も多いし、気にしなくていいよ」と言ってくれたけれど、僕は正直、内心ショックでした。

“やっぱりそう見られるんだ”という現実を突きつけられたような気がして──言葉にはできなかったけれど、心の中でずっと引っかかっていました。

実際、入学式にいた1年生は100人以上。その中で「よしの目」クラスに通うのは3人。おそらく全体の10人に1人にも満たない割合。それが“特別”に見られる現実の重さもまた、僕の胸に残りました。


ママとパパ、それぞれの想い

ママは、「人と比べなくていい」「その子のペースで育ってくれればいい」と言います。
僕はそれが本当に優しい考え方だと思う。でも、僕はつい現実を見てしまう。

社会に出たとき、比べられることは避けられない。そのときにこの子が傷つかないよう、今のうちから準備が必要なんじゃないか──と、焦ってしまう自分がいます。

そのたびに、ママと意見がぶつかることもありました。でも、お互いの想いはいつも「この子のためにできることを考えている」という一点で一致しています。

最近は、その違いを責め合うのではなく、すり合わせて一緒に考える時間が少しずつ増えてきました。


弟と兄。対照的なふたりと、気づかされた優しさ

3歳年下の弟は、暴れん坊で甘えん坊。「ママだっこ〜」が口ぐせで、いつも家の中を自由に走り回っています。

でも保育園では、お友達(しかも外国人の子!)と毎日元気に遊んでいると聞いて、ちょっと驚きました。

ある夜、弟が「1階に忘れ物を取りに行きたいけど怖い〜!」と泣き出したとき、
お兄ちゃんが少し面倒くさそうにこう言いました。

「……もう、一緒に行ってあげようか?」

そのひとことに、胸がいっぱいになりました。

気が弱くて、手がかかる──そんな風に思っていた長男。でも実は、ちゃんと人を思いやれる子だった。自分なりに、弟を見ていてくれた。そんな姿が本当にうれしかったんです。


診断が怖かった。でも、そろそろ向き合おうと思う

去年、支援センターの方から「一度、病院で発達検査を受けてみては」と提案されました。

でも、正直怖かったんです。

“診断名”がついてしまうことで、「決まってしまう」ような気がして。
「うちの子は大丈夫」「まだ様子を見よう」と、自分に言い聞かせるようにして避けていました。

でもママは冷静でした。「それでこの子のことが少しでも分かるなら、いい機会かもしれない」と言ってくれました。

僕も、ようやく少しずつ向き合おうと思えるようになってきました。

「この子が生きやすくなるなら、診断は“足かせ”じゃなく、“ヒント”になるのかもしれない」

近いうちに、診断も含めて相談できる病院に行くつもりです。
怖さはまだあります。でもそれ以上に、この子の未来の選択肢を増やしたい。


結局、親にできることって何だろう?

支援学級に通うこと、診断を受けること、人と違うこと。

どれも簡単なことじゃない。でもこの子は、ちゃんと前を向いて少しずつ進んでいます。

比べたくなくても比べてしまう。周囲の言葉に傷つくこともある。
それでも僕たちは、この子のことを信じていきたい。

どんなに迷っても、悩んでも──

「あなたはあなたで大丈夫」

だからこそ、朝の支度に時間がかかっても「ゆっくりでいいよ」と声をかける。嫌なことがある日は「無理しなくていいよ」と寄り添う。

そんな小さな声かけの積み重ねが、この子にとって安心できる土台になっていく気がしています。

そう言える親でありたい。僕たちは、今日もそう思いながらこの子と向き合っています。

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